「あの頃のロマンポルノ」 by キネマ旬報

 

第29回『高校教師・成熟』『緊縛卍責め』

 日活ロマンポルノは生誕50年をむかえました。それを記念して、「キネマ旬報」に過去掲載された記事の中から、ロマンポルノの魅力を様々な角度から掘り下げていく特別企画「あの頃のロマンポルノ」。キネマ旬報WEBとロマンポルノ公式サイトにて同時連載していきます。(これまでの掲載記事はコチラから)

 今回は、北川れい子氏による「日本映画批評『高校教師・成熟』『団鬼六 緊縛卍責め』」の記事を、「キネマ旬報」 1985年3月上旬号より転載いたします。

 1919年に創刊され100年以上の歴史を持つ「キネマ旬報」の過去の記事を読める貴重なこの機会をお見逃しなく!


■日本映画批評『高校教師・成熟』『団鬼六 緊縛卍責め』

 常に作品を先行させ、決して自分を語ることのない西村昭五郎監督に比べ、関本郁夫監督は東映時代から作品に個的な情念を投影させ、まず自分の”我”を先行させるという印象が強い。

 両監督それぞれの姿勢の、どちらがいい、悪いはともかくとして、同時公開された西村監督の『高校教師・成熟』と、関本監督の『団鬼六 緊縛卍責め』を見比べると、いや、そもそも内容とスタイルがまるで異なる両作品を見比べるというのもおかしいが、作品としての自立度にしろ、広がりにしろ、西村監督の方が数段すぐれていると思わざるを得ない。

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▲『高校教師・成熟』より赤坂麗


 とはいってもその西村作品にしても、とりたててすぐれているという訳でもないのだが、84年にっかつ新人女優コンテスト優勝者・赤坂麗を、素直に盛り立てての確実な仕事ぶりは、ありふれたことばになるがさすが職人監督ならではの安定感がある。

 実際に西村監督ほど作品に出しゃばらない監督も珍しい。若い女優たちを使っての青春風俗にしても、今回のようなヤング・アダルト向きのポルノでも、西村監督はまず脚本をそして女優を先行させ、その上で映画として整理、完成させる。派手なスタンド・プレイこそ見せないが、脚本、女優のクセを読み、一塁か、二塁か、確実に塁に出るというワケだ。

 『高校教師・成熟』は、昨年のロマンポルノの傑作『不純な関係』でコンビを組んだ斉藤博の脚本で、今回もまた、女三人、男二人の不純な関係が、軽い語り口で進行する。

 が語り口は軽いが、高校教師・赤坂麗を軸とした五角関係に、やさしくてひんやりとした、とらえどころのない痛みとやるせなさが漂う。関係の複雑さがよりそれぞれの孤独さを表出させるというワケだ。

 『不純な関係』といえば、妻ある男につきまとい、私、他人の不幸って大好き、とウソぶく山本奈津子の存在が印象的だったが、今回の久我冴子のあり様も興味深かった。他の四人の男女が、曖昧な位置で性的関係を結んでいるのに比べ、若い久我冴子はダダっこのように泣きわめき、結婚という絶対的な関係に固執する。三十世代の四人が、不確かな関係の中でやさしく傷付け合っている脇でのこの若さの強引さ、うっとうしいと思いつつ、ある種のカタルシスもあった。

 それにしても斎藤博の描く三十男たちは、どうしてこうも、出口無し、なのだろう。これでは女は、イヤでも一人歩きを考えざるを得ない。もちろん一人歩きする女はいつでも歓迎だが、やっぱり男にうずくまって欲しくない。

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▲『団鬼六 緊縛卍責め』より高倉美貴


 関本郁夫の『団鬼六 緊縛卍責め』は東映作品『天使の欲望』(79)のSMポルノ版である。関本監督と松本功の共同脚本だが、その故郷=北国志向といい、一人の男(南城竜也)をはさんでの姉(高倉美貴)と妹(麻生かおり)の野心と葛藤といい、タイトルにSM作家・団鬼六の名はあるが、中島丈博の脚本だった『天使の欲望』をホーフツとさせ、殺し合いにこそはならないが、姉妹の過激で重い殴り合いまである。

 いや、作品の類似性は今までにもよくあること、いいとしても問題は描き方である。心ならずも女の性を武器に生きざるを得なかった姉と、最初からそれを目的とした妹との、いかにも関本監督的情念の力みは、突然、時代が逆もどりしたような、とまどいすら覚える。姉妹のそれぞれに関本監督の怨念がとりついて、なにやら関本監督がのたうちまわっているような錯覚がしてしまった。

文・北川れい子 「キネマ旬報」19853月上旬号より転載<
高校教師・成熟』【Blu-ray】
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