「あの頃のロマンポルノ」 by キネマ旬報

 

第4回『実録 阿部定』①

今年2021年に、日活ロマンポルノは生誕50年の節目の年をむかえます。それを記念して、ロマンポルノの魅力を様々な角度から掘り下げる定期連載記事を、キネマ旬報WEBとロマンポルノ公式サイトにて同時配信いたします。「キネマ旬報」に過去掲載された、よりすぐりの記事を「キネマ旬報WEB」にて連載していく特別企画「あの頃のロマンポルノ」。(これまでの掲載記事はコチラから)

今回は、ロマンポルノ作品として1975年第49回「キネマ旬報ベスト・テン」の日本映画第10位に選ばれた『実録 阿部定』をピックアップ。19753月下旬号より、田山力哉氏による映画評を転載いたします

1919年に創刊され100年以上の歴史を持つ「キネマ旬報」の過去の記事を読める貴重なこの機会をお見逃しなく!

問題作批評:『実録 阿部定』その1
私が学生のころ、当時ベスト・セラーになった「はだか随筆」という本を出した佐藤弘という先生が、我々に経済地理というのを教えていた。およそ経済学とは縁のない色事の話ばかりするので人気があったが、その先生がたまたまその頃に起きたバラバラ事件にかんして次のように言ったことがある。

「こういう事件が起きると、直ぐに道徳的な見地から非難ばかりする者が多いが、少くとも諸君はもっと客観的に物事を見つめるようにしなければいけない。深夜に女が部屋に閉じこもり、男の屍体をギーコギーコ、バラバラにしている姿など、私は隣室から覗き見してみたい。きっと鬼気人を襲うようなゾクゾクする魅惑をおぼえるにちがいない」。

ホレきった男を殺し、赤黒い血にまみれながら男の局所を切り取っているこの映画の宮下順子=阿部定の姿など、今は亡き佐藤先生に見せたら狂喜されたにちがいない。それほどここには、女の男にたいする愛が、執念というほど極限に達した果ての、一種の妖気のようなものがただよっているからである。

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 それにしても、セックス描写を抜きにして、ほんとうに女の肉体と心のヒダを描きつくすことなど不可能だということがよく分る。男に甘えるかと思えば、子供のように甘やかし、スネてみせるかと思えば、肉体の歓蕗に我を忘れる……女は男との愛に、他の世界から隔絶された純粋境をもとめる。この映画が雨戸を閉め切った旅館の一室のなかの情事だけをずっと追っているのも、この男との交歓以外に生命はないといった女の気持を象徴している。

 女中が雨戸を開けると、下には憲兵たちが歩いている。女は、おう、いやだ、と言って戸をピシャリと閉め、また男の身体に迫っていく。部屋は混乱し、徳利が散乱し、何日も何日も二人の情事がつづく。外界で何が起きようと、女にとってこの官能の悦楽以外は存在しないのである。宮下順子は自らの肉体のヒダを、すべてこの定に化身させ、微妙で細やかでひたむきな女の官能を余すところなく表現している。

 一方、男のほうは時として醒めている。仕事のことを、ふと思い出す。家のことが、なにやら気にかかる。それを敏感に察した女のこころが揺れ動く。すでに映画の冒頭から、それを予感した女が、半ばふざけて短刀で男を脅したりする。女はホレた男にたいして、徹底した独占欲を抱く。これは定に限らない。奥さんに彼の身体を触れさせてたまるかという一念が、定をして男を殺させ、その局部を切り取るまでに至らせるのだが、こういう異常なほどの行為も、本質的には我々の周囲にいるすべての女と全く変りはない。ほんとに男にホレた女であってみれば……それだけに阿部定は怖ろしい、と同時に女の愛らしさを身いっぱい持っている。

 廿悲しい女の声の主題歌が効果的で、哀々切々とした宮下の表情・声も印象的だ。田中登という監督に、これまで比較的縁の薄かった私だが、これだけ女を表現できる人とは思わなかった。色々の思いの去来する映画であった。

文・田山力哉 「キネマ旬報」19753月下旬号より転載

実録 阿部定』【DVD
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監督: 田中登 脚本:いど あきお
価格:2,800円+消費税
発売:日活株式会社


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