「あの頃のロマンポルノ」 by キネマ旬報

 

第19回 「夢へのステップを」(文:白川和子)

2021年に、日活ロマンポルノは生誕50年の節目の年をむかえました。それを記念して、「キネマ旬報」に過去掲載された記事の中から、ロマンポルノの魅力を様々な角度から掘り下げていく特別企画「あの頃のロマンポルノ」。キネマ旬報WEBとロマンポルノ公式サイトにて同時連載していきます。(これまでの掲載記事はコチラから)

 今回は、「キネマ旬報」197211月下旬号より、「随想 ある日・そのとき・わたしは・思う」に女優・白川和子さんが執筆された記事「夢へのステップを」を転載いたします。

 1919年に創刊され100年以上の歴史を持つ「キネマ旬報」の過去の記事を読める貴重なこの機会をお見逃しなく!

■随想 ある日・そのとき・わたしは・思う
夢へのステップを

日活に移ってから、早いもので一年が経ちました。ロマンポルノ作品の主演女優としてスタート地点に立ったのが去年の十月、それから今日まで、どうにかこの新しい道を、順調に歩いているような気持ちでいます。ピンク映画時代からのファンの方々や、日活作品の出演後に名前を覚えて頂いた新しいファンの方々の励ましや、活字となった反響を眼にすることで、女優としての自覚を、何度も新たにしたものです。
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▲『さすらいの情事(1972)より

 しかし、いまにして振りかえってみると、ここに至るまでの道は、決してまっすぐで、平担な道ではありませんでした。ピンク女優時代には、大変なスランプに陥り、しばらく「映画情報」社のお世話になり、OL生活をおくったこともありました。もちろん、こうしたことは私に限ったことではなく、誰にも、それなりのつらい季節や、脇道にそれてしまう時期というものが、訪れるものだと思います。そうした、誰もが心挫ける時に私の心の支えとなっていたのは、五社のスター女優には負けたくないという闘志と女優としての精一杯のプライドでした。
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▲『団地妻 しのび逢い(1972)より

 こうした気持ちが心の底にあるためなのか、私はつい自分の演じる役に熱を入れすぎて、演技を越えて夢中になってしまうことが応々にしてあります。

 ところで、他の俳優さんの作品を見て、自分もあのような役どころを、一度でいいから演じてみたいというのは、俳優として誰もが持つ素朴な感情だと思います。そしてそれが俳優の夢でもあるのです。私の場合、それは左幸子さんが演じた「にっぽん昆虫記」の松木とめのような女性です。どこまでも生きることに執着する女性、日本の土の匂いをしみこませている女性、そういう女性を、思う存分に演じられる女優になれたら、これ以上うれしいことはありません。

 女優はただ一人の、あるいは限られた少数の男性や女性のためにではなく、すべての人のために存在しているものかなと思います。こうしたことを心に刻みこみながら、私は自分の夢へのワン・ステップを、いま歩んでいるのです。

文・白川和子 「キネマ旬報」197211月下旬号より転載

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