「あの頃のロマンポルノ」 by キネマ旬報

 

第16回 『わたしのSEX白書 絶頂度』

2021年に、日活ロマンポルノは生誕50年の節目の年をむかえました。それを記念して、「キネマ旬報」に過去掲載された記事の中から、ロマンポルノの魅力を様々な角度から掘り下げていく特別企画「あの頃のロマンポルノ」。キネマ旬報WEBとロマンポルノ公式サイトにて同時連載していきます。(これまでの掲載記事はコチラから)

今回は、「キネマ旬報」19764月下旬号より、斎藤正治氏による曽根中生監督作品をとりあげた「日本映画批評『わたしのSEX白書 絶頂度』」の記事を転載いたします。

1919年に創刊され100年以上の歴史を持つ「キネマ旬報」の過去の記事を読める貴重なこの機会をお見逃しなく!

■日本映画批評 『わたしのSEX白書 絶頂度』
 日活この週の上映作品は、二本とも看護婦ものというか、病院もの。しかし優劣がきわだった。

 性悪女、意地悪女を描くのが目立つ曽根中生が、珍らしく優しさに満ちたナイーヴな性格の女を描き、質感の溢れる作品を作った。このような被写体の変化は、多分に脚本による。つまり白鳥あかねの資質がそのまま漂白されたシナリオを得たからであろう。

 スクリーンに出てくるドラキュラは、きまって無気味な陰影をたたえて立ち現われるが、この「女吸血鬼」は、終始美しさとけだるそうなエロスを秘めていた。病院の採血係であるヒロインあけみ(三井マリア)は、血を採る作業をするたびにめくるめく快感を覚えた。ただそれだけの「女吸血鬼」だ。

 このヒロイン、未成熟な破行的性格であり、充足した昼間のドラキュラのようにひどく醒めていて、自己批評的な場合がある。例えば結婚を予定する給食会社の息子との情事は、どっちらけで感応はひとつもないのに、男の前での思わぬ失禁には、死ぬほどの屈辱感にさいなまれる。

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 好奇心の初歩である盗視癖の反面では、弟の前でも自慰行為を止めようとしないというような性格なのだ。大人的なものと幼児性的なものと同居させたエロスの狩人といった、いわばバランスを失したかわいさがなんとも魅力的である。かわいい女吸血鬼。

 姉のあけみがそうであれば弟のキヨシ(村国守平)も成熟しきれない潔癖性を持っていて、ヤクザの情婦リリィ(芹明香)が迫るのを拒み、もっとも優しいはずの近親相姦に恐怖を抱いて出ていく。そのくせ、美しい病院の看護婦には肉の思慕をおずおずと寄せている。このような人物たちの繊細なみずみずしさは繰返えすが脚本家の持っているものだろう。曽根中生はそのイメージを的確に増幅した。この姉弟に見るような分明でない微行的な性格が、不思議に鮮烈なエロスをほとばしらせることになった。

 小さな辱しめにもひるむあけみが、もっとも狂暴な性を持つヤクザの隼人(益富信孝)に抱かれた時、彼女の持っている自己批評的性は失われ、破壊的快楽のなかに自己解体していく。その彼女には、小便をもらしたというような養恥感などみじんもなく、ポルノグラフィの被写体にされても平っちゃらの開き直りがあった。「女吸血鬼」は、男の精液によってはじめてよみがえったのである。リリィも加わっての三つ巴ファックのラストシーンの執拗な描写は、酒湯現象をおこしている最近の日活ロマンポルノの活性剤になるかも知れないと思ったほどだ。採血係の性感を題材にし、女の意識の深部にある測量不能なエロスを掘起こし可視化しようとした試みは萩原憲治の映像や木村誠作の照明に助けられて成功したといえよう。

文・斎藤正治『キネマ旬報』19764月下旬号より転載

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監督: 曽根中生 脚本:白鳥あかね
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