「あの頃のロマンポルノ」 by キネマ旬報

 

第10回「プロフェッショナル神代辰巳」

2021年に、日活ロマンポルノは生誕50年の節目の年をむかえました。それを記念して、「キネマ旬報」に過去掲載された記事の中から、ロマンポルノの魅力を様々な角度から掘り下げていく特別企画「あの頃のロマンポルノ」。キネマ旬報WEBとロマンポルノ公式サイトにて同時連載していきます。(これまでの掲載記事はコチラから)

今回は、1973年発行『キネマ旬報』5月下旬号に掲載されました、神代辰巳監督についての記事を転載いたします。

1919年に創刊され100年以上の歴史を持つ「キネマ旬報」の過去の記事を読める貴重なこの機会をお見逃しなく!

■「プロフェッショナル神代辰巳」

 神代の処女作『かぶりつき人生』を私は公開当時から観ているが、正直言ってこの作品を分かったと言える自信がなかった。情念のままにぶつ切りになって行く様な演出。妙に心にひっかかるラストの不可解さが印象に残っている。

 それから四年。神代は日活ロマンポルノ初期秀作群の中核的作家として我々の前に姿を現わした。見事に自身の文体を持った作家としてである。

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▲『一条さゆり 濡れた欲情の撮影中 神代辰巳監督(中央)

 神代辰巳は、「葉隠」で有名な鍋島藩の城下町佐賀市に生まれた。生家は祖父の代からの薬問屋。当時使用人が20人位いた。父は小倉の陸軍病院に薬剤師として勤務していたが、中学二年の頃腹膜炎で死亡。母の実家は佐賀の醤油屋で父には絶対服従の昔かたぎの人だったらしい。

 昭和15年彼は旧制佐賀中学に入学する。「葉隠」一本槍の教育を受けた。中学時代の彼は〈軟派〉学生で、文学書をよく読み映画をよく観るといった生活だった。教師に陸軍士官学校も海軍兵学校も受けないと言って殴られた経験がある。この頃『プラーグの大学生』という映画に強い印象を受ける。男四人女一人の五人兄弟の長男だったが、家を継ぐ意志はなかった。

 昭和20年九大附属医学専門部に入学。軍隊にとられたくなかったからである。敗戦。その年いっぱいで学校を辞め、佐賀高校を受け直す勉強を始めた時、肋膜炎に倒れた。半年間寝た切りの生活を送る。この時期に読んだキェルケゴールから大きな影響を受けた。

 昭和22年早稲田第二高等学院に進む。小説家になろうと思っていた。24年、新制大学に切り替わり早大文学部英文科へ。この頃の彼の生活を一口で言えば、親のスネをかじり学校へ行かずに下宿に文芸雑誌を何冊も買い込んで来て、小説家を目指す学生が誰でもそうである様に、少し書いては止め、少し書いては止めの毎日だった。三年の頃映画に進もうと考え始める。小津安二郎が大好きだった。

 昭和27年松竹京都撮影所入社。同期に蔵原惟繕、松尾昭典、長谷和夫がいる。最初についた監督は内出好吉。高田浩吉物の時代劇だった。29年制作を再開した日活に蔵原が移る。半年後松尾昭典が、30年に神代も移った。給料が三倍にハネ上がった。滝沢英輔や森永健次郎の作品についた後、斎藤武市の「渡り鳥シリーズ」にはすべてついている。とにかく忙しかった。

神代:映画づくりは誰に学ぶというより自分で獲得して行くもので、他人の影響はないと思いますね。例えばフランス・ヌーベル・バーグがフィルムライブラリーから生まれたように。自分でも映画を観てますし。映画はすべてその監督のものだという気がします。

 この後、蔵原惟繕の『何か面白いことないか』『執炎』などの助監督をしながら自作の準備にかかる。39年「泥の木がじゃあめいてるんだね」(「映画評論」393月号掲載)というオリジナル・シナリオを書き上げ、製作寸前まで行ったが、商売にならないという理由で中止となる。当時の神代を久保圭之介プロデューサーは次の様に書いている。「コツコツとコタツの中で全く孤独で書いている彼の姿に、私は限りなく作家を感じます。」(前出)。後年『濡れた唇』や『白い指の戯れ』となって結晶した原型シナリオ「痴漢ブルース」「スリ」はこの時期に書いた。

 昭和42年にデビュー作『かぶりつき人生』(公開は43年)を撮った後、四年間干された。その間テレビの仕事を手がけ、日本テレビ火曜日の女シリーズ「九月は幻の海」(2本)、すばらしい世界旅行(1本)、フジテレビ「恐怖劇場アンバランス」第五話「死骸を呼ぶ女」を撮る。

 昭和46年日活は、ロマンポルノ製作に踏み切った。この転換を彼は次の様に語る。

神代:これは今までの映画界の常識から言ってはるかに好きなことができる革命的なことです。これまで撮りたくても撮れなかったものがどんどんできるんだからすごいことですよ。

それに関しては我々の観て来たとおりである。日活アクション全盛期を裏で支えながら、全く〈孤独〉に自己資質をたくわえていった作家といえる。

かぶりつき人生』を撮った後、会社から干されている頃だったと思う。一本撮っただけでヤル気があるのかないのかわからないといった感じのこの作家に関する私生活上の風聞を耳にした。それは女との複雑な〈関係〉に身を溺れ込ませているといった類いのゴシップで、映画をつくらずに生活の水位に深くかかえ込んでいるこの人の修羅を私は思わずにはいられなかった。

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▲『一条さゆり 濡れた欲情』の撮影中 談笑する神代辰巳監督(右)

この記事のためのインタビューの中で神代氏は「自分を曝さない人なんてインチキだと思いますね」と言った。佐藤重臣は『一条さゆり 濡れた欲情の中で、ヒモが担ぐ大きなトランクを指して次の様に書いている。「あの金属製のトランクは、つまり、神代にとって、人生のガラクタをつめた十字架なのだ。それは貧困極まりない、今日の日本映画の様でもあるし、神代自身の十字架でもあるようだ。」(「映画評論」4712月号)

 神代の作品が我々に時代へのアイロニカルな対応と見えたり、現実に大してニヒリスティックなカーブを描く様に見える時、ほんとは〈私はこれだけです〉と自身を時代の風圧に曝すことによってそれを強いたものとよく対峙していると言うべきである。

文・吉田成己「キネマ旬報」1973年5月下旬号より転載
一条さゆり 濡れた欲情』【Blu-ray】
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監督・脚本: 神代辰巳
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発売:日活株式会社 販売元:株式会社ハピネット・メディアマーケティング


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